2791-120703 違法ダウンロードに刑罰を科す改正著作権法について
GR DIGITAL 4
7月3日17:20〜18:15、NHKラジオ第一の「私も一言!夕方ニュース」でコメントしました。
→http://www.nhk.or.jp/hitokoto/
テーマは「改正著作権法 ネット社会で問われる課題」。
放送終了後の一コマ。
→http://cgi2.nhk.or.jp/hitokoto/bbs/form2.cgi?cid=1&pid=15146
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shioの考えをまとめておきます。
(1) 著作権法の究極の目的は「文化の発展」です(著作権法1条)。
各条文はその目的に適するように規定すべきですし、解釈・運用すべきです。違法なダウンロードを刑罰の対象とすることが、この目的にかなうでしょうか。これについては後述します。
(2) 著作物などの「情報」は、得てみて初めて内容がわかる、という性質があります。
だから本屋さんは立ち読みOKなのです。情報を得る前にその内容(違法にアッブロードされたものか否か)を判断せよ、というのは無理な話です。
(3) コミュニケイションによって社会を形成しながら生きる人間にとって、情報を得ることは基本的かつ本質的な行為です。したがって情報を入手するプロセスに刑罰を科すべきではないと思います。実際、電波法は、無線通信を傍受する行為は刑罰の対象としていません(それによって知った内容を漏らすことは犯罪です)。情報の入手プロセスの一部を刑罰の対象とすることは、人々の判断や表現の基礎を奪うことにつながり、憲法の定める思想良心の自由(19条)、表現の自由(21条)にも反することになるでしょう。
(4) 規定の内容が不明確です。
不明確な刑罰規定は、刑法の基本である「罪刑法定主義」に反しますし、刑法の自由保障機能(刑事罰の対象となる行為以外は自由に行動していい)をも阻害します。
今回新たに設けられた規定を見てみましょう。
第119条第3項
第三十条第一項に定める私的使用の目的をもつて、有償著作物等(録音され、又は録画された著作物又は実演等(著作権又は著作隣接権の目的となつているものに限る。)であつて、有償で公衆に提供され、又は提示されているもの(その提供又は提示が著作権又は著作隣接権を侵害しないものに限る。)をいう。)の著作権又は著作隣接権を侵害する自動公衆送信(国外で行われる自動公衆送信であつて、国内で行われたとしたならば著作権又は著作隣接権の侵害となるべきものを含む。)を受信して行うデジタル方式の録音又は録画を、自らその事実を知りながら行つて著作権又は著作隣接権を侵害した者は、二年以下の懲役若しくは二百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
この規定には下記のような問題点があると思います。
・「有償著作物等」という概念を使うのは不適切です。そもそも著作権法は、著作物が「有償」か「無償」かによって区別しません。「有償」という文言自体、著作権法に登場するのは1カ所のみで、それも「有償であるか又は無償であるかを問わず」という表現です(2条1項19号)。したがって、著作権法の価値観として、著作物を有償か無償かによって区別していないのです。それにもかかわらず、いきなり刑罰規定のみに「有償」概念を用いるのは不適切です。
・著作権法において「公衆」とは、不特定多数と特定多数の両方を含みます。ですので、この「有償著作物等」の定義によると、日本のどこかで一部の人々に対して有償で提供・提示されている著作物も「有償著作物等」となります。ではたとえば、先週の日曜日にshioたちが高田馬場で行った音楽会(聴衆約80名)の録音がネットでダウンロード可能な状態になっている場合(実は本当にダウンロード可能です)、それが有償で販売されているファイルなのかそうでないのかを他の人々は判断できるでしょうか。
このような不明確な規定が、議論も乏しいままに立法されてしまったことが、大変残念です。
(5) 人はできる限り違法行為を避けようとしますから、不明確な刑事罰規定があると、判断のつかないグレーな行為はすべて躊躇し、回避します。これを萎縮効果といいます。せっかくインターネットですばらしい著作物が流通しているのに、それが違法にアップロードされたものであるかどうかわからないがために視聴できない、という状況が日本中で(というかこの規定は国外にも適用されますので日本以外でも)日常化するのです。著作物が利用しにくくなればなるほど、著作物に触れる機会が少なくなります。既存の著作物に触れにくくなれば、学ぶ機会も減り、著作物を視聴して影響を受ける機会も減って、新たな著作物が生み出されにくくなります。
結局、長期的には、日本の文化的貧困を招くのです。
shioはそれがとても悲しい。
著作権法の目的は「文化の発展」です。