
dp2 Quattroの写真がまぶしい。
意図的に、露出オーバー気味で撮影しています。「白トビ」ではなく「白トバシ」。積極的に白く飛ばしています。
なぜなら、シグマのカメラは「純白」を知っているから。
そして純白に至るまでの繊細なグラデイションが自然で美しいから。

シグマのカメラに使われているセンサー(Foveon X3 ダイレクトイメージセンサー)は、レンズから届いたすべての光を、すべての画素で取り込みます。何も削減しません。色も減りません。あふれんばかりの光とありのままの色を、ありのままに、純粋に受け止めます。
だから白が白い。純白が純白。

一方、他社のカメラに使われているセンサーは、各画素の前面にカラーフィルターが付いているので、レンズを通して届いた光を取り込む時点で、色がRGB(赤・緑・青)のうちのどれか1色に限定されます。各画素、三原色のうちの1色の情報だけを取得します。
本来、三原色がすべて揃って色が形成されるのに、1色しか情報がない。不足している残り2色の情報は、周囲の画素同士で融通し合います。

たとえばある画素で「青がmax」という情報を得たとします。でも、その場所に届いている光は「真っ青」とは限りません。他の色が混ざっているかもしれない。もしかしたら、その画素が受けた光は「青がmax」のみならず「赤もmax」で「緑もmax」、つまり「純白」かもしれない。でもそれは、その画素自体の情報からは不明。
その画素は青色の情報しか取得していないので、「真っ青」なのか「真っ白」なのか、あるいは赤や緑の要素を含んださまざまな色なのか、その画素自身ではまったく判断できないのです。

これが問題となるのは、超細かい光の点を含む被写体。
例えば、テーブルに置かれた料理の表面には、光を反射して白く光る微小な光の点が散在しています。それが料理のテリとか鮮度の源。できたてで美味しそうに見える輝きの素。
シグマ以外のカメラで撮影すると、その白い光の微小な点が濁ることがあります。本当は真っ白なのに、センサーの情報からは、真っ青なのか、真っ白なのか、赤や緑が混ざっているのか不明なので、周囲の画素の情報を組み合わせて推測しているから。
ときには、実際とはまったく異なる存在しない色が現れることもあります。いわゆる「偽色」です。

これは、色だけでなく光の量に関しても同じこと。
シグマ以外のカメラは光を画素に取り込む前にカラーフィルターを通して光を減らしているので、実際にどのくらいの量の光が届いていたのか、センサーは知りません。これも周囲の画素で得た情報から相互に補完し合うことで、元の明るさを求めています。
シグマのカメラにはフィルターが付いていないから、光の量も事実に忠実に取得する。だから、ありのままのモノクロームが撮れる。

したがって、シグマのカメラは「何も足さず、何も引かない」方式。
一方、シグマ以外のカメラは基本的に、色情報や光の量を「最初に差し引いて後で推測して加える」仕組み。情報が少ないからデータとしては扱いやすい反面、実際の光と色を完全に再現することは難しい。
そこで各社、可能な限り元の光を再現するべく、デジタル技術を駆使します。実際、シグマ以外のカメラで撮影した画像も、十二分にきれい。むしろ、光や色の情報が少なくても、あるべき色を推測して表現する能力に長けているので、光が少なく暗い場所での撮影には強い。微弱な光でもきれいに描写できます。だからshioも暗い場所でのカラー撮影にはシグマ以外のカメラを使います。

でも、明るい場所だったら、その場の光と色を100%取得するシグマのカメラを使いたい。先述の光の点、白い輝きは、純白を純白と知っているシグマのカメラでこそ、無垢な白として描かれる。
絵に生気と輝きを与える白の白さは極めて重要。それを紛れもない純白として「発色」するシグマのカメラが素晴らしい。
純白がホンモノであるだけでなく、純白から他の色が混ざっていく過程にも偽りがない。だからトーンがきれい。濃淡が滑らか。階調が美しい。

純白の輝きによって絵に生気が宿り、立体感とリアリティーが生まれ、写真がまぶしい。
白さ際立つdp2 Quattroの描写に、人は眩しさと魅力を感じるのです。
