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2014.05.19

3672-140511 大学の教育は、問い、問われることに価値がある

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京都橘大学准教授で教育方法学、国語科教育学、特別活動論がご専門の池田修先生がFacebookに「国語科の初任者が困っていることとして「発問」ができないということが多いと言うことが書かれていた。うーん。<後略>」とお書きになっていたのでコメントさせていただきました。

以下、shioのコメントを若干補足して転載します。

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大学って「学問」の府。なのにどんどん「答えの提供」をする教育に偏向して行っています。つまり「答えを教える教育」、「問わない教育」、「答えは一つな教育」です。そんな教育を受動的に受けてきた卒業生が教員になって、「問えない」のは当然。「問う訓練」はおろか「問われる経験」すらしていないのですから。

初等中等教育をはじめとして、最終的に高等教育(=大学・大学院の教育)にいたるまで「問わない教育」を受けた人間が教員になっているのですから、「問えない教員」ばかりになるのも無理はありません。「問える教員」を生むためには、せめて「学を問ふ」高等教育において、教員が学生に問い続け、学生からも問い続け、その問いの答えが人によって異なり、解が無限にあり、その多様性こそが社会の面白さであり進歩、発展の礎である、ということを体感することが必要だと思います。

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ご存知の通り、shioの講義は問いの連続で構成されております。

shioの場合、問うたら必ず最終的に「shioの答え」を提示します。ただしそこに至る前に、学生たちの多様な見解を教室という場に出し切ります。その過程で、学生から出される見解はすべてほめますし、ときにはshioの見解と同じ見解も出ますが「正解」とは決して言いません。そもそも法律問題に「正解」は存在しないのが大前提であり、その大前提にのっとって講義が成り立っているからです。学生たちからの多様な見解が出たあとで、ちなみにshioはどう考えているかを示します。するとその「shioの答え」もone of them、多様な答えのひとつにすぎない、という位置づけとなります。

教室は問答の場。問い、問われ、思考し、表現する。その繰り返しによって知的に進化して行く道場がshioの教室です。

(写真は、成蹊大学近くのビストロ「ゴブラン」のランチ。シグマ「50mm F1.4 DG HSM」(EOS 6D)で撮影したものです)

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