765-061204 市議会に行ってきました
パロアルト市議会の公聴会に行ってきました。すごーく面白かった!!
パロアルト市にある図書館をどのように改築するかという議題。5つある図書館のうち、ミッチェル・パーク図書館が常に混み合っているため、その拡張を検討するとのこと。そこで、どのようなプランにするかを話し合うために市民が市議会に対して意見陳述するための会です。夜7時開始の公聴会にもかかわらず、子どもから老人まで、大勢の人が集まっています。消防士さんに警察官、その他さまざまな人々が楽しそうに集まって、ワイワイ「我らの街」について語り合ってます。すごい。
パロアルト市役所の議会室の正面に、9人の市議が扇形に並んで座り、市民もそれを扇形に囲むように座ります。いい感じ。こちらのこういう部屋のいいところは、「舞台」がとっても低いこと。市民と議員とが、ほとんど同じ目線の高さで話をすることができます。遠くから「傍聴」するというのではなく、その会議に「参加」する「当事者」という位置です。この「位置」がとてもいい塩梅。
ちなみに、スタンフォード大学の講義室も同じ。前で講義をする教員は、床の高さに立って講義します。つまり、「教壇」がない。一方、学生側の席は階段状に高くなっていきますから、学生は、教員と同じ高さか、少し高いところから教員を見下ろす位置で講義に参加することになります。shioはこれが好き。
日本には「教えを垂れる」「範を垂れる」という表現があるけれど、その背後にある「上下」の関係が、shioにはどうしても馴染めない。教える人が上、教わる人が下? なんで? 講義しているshioが提供しているのは、受講者の「考える素材」。どうぞこれを好きなように料理してください、と思って講義してる。もっといいアイデアがあったら出して欲しいし、shioの話にどんどん突っ込んで欲しい。学問を次に進めるのは彼らなのだし、そもそも、教師を凌駕するような成長をして欲しいと願って教育に携わっているのだから、学生の方が上か、せめて「対等」であるべき。
スタンフォードで座席の位置がどうなっていたって、尊敬に値するスバラシイ先生に対しては、学生たちはちゃんと尊敬の念を抱いているし、そういう態度で(でもカジュアルに)教員と話しています。日本の大学ように座席の位置によって教師を「見上げる」ことを学校が強制するのは、おかしい。
だからshioが日本で講義するときは、いつも自然と、学生たちの机と同じ床に立ってしゃべっています。高いところから偉そうに「教えを垂れる」のは、shioの感覚に合わない。学生と同じ高さの方が落ち着く。たしかに320人もが受講している大教室では、shioが教壇から降りてしまうと黒板(ホワイトボード)に届かなくなってしまうから、しかたなく教壇の上で講義するけど、そうでないところでは床に立って話します。
以前、成蹊大学の近くにある武蔵野市の小学校で新しい校舎が竣工したので、見に行きました。その「講堂」がすばらしかった。建物2階にある講堂の入り口のトビラを入ると、そこは「舞台」。客席はそこから階段状に上に上がっていって、うしろのトビラを出ると建物の3階。つまり、講堂の中の一番低い床が「舞台」。「舞台」が「台」ではないのです。スバラシイ!!
さてパロアルト市議会。
→http://www.cityofpaloalto.org/government/citycouncil.html
市長さんも副市長さんも女性。副市長さんは日本人です。2人とも超かっこいい!! そして終始笑顔。まずは新たに建て直す図書館の案が3プラン、説明されました。そのあと、市民が意見を言う時間。
市長さんは、「18歳以下の人の意見を先に聞きましょう」と言って、提出されているカードから順番に、18歳以下の人だけを抽出しながら進めていきました。15人ほどの若い市民が、次々と前に出て、マイクの前でどうどうと意見を語りました。一番若かったのは小学3年生。子供用の本が少なくて、自分が借りたい本は予約しないと借りられないことが頻繁にあるから、もっと蔵書を増やして欲しい、読む場所も広くして欲しいとの意見。そのほかにも発言した「18歳以下」の1/3は小学生でした。すごい!! 5mほど前にいる市長や議員に対して、みんなきちんと簡潔に、要領よく中身のあることを堂々とよどみなく発言します。スバラシイ!!
そして彼らの発言には決まって、「放課後、図書館の資料とコンピュータを使って宿題のレポートを書くために図書館に行くと……」という内容が含まれています。小中学生です。コンピュータの増設や、持参したコンピュータのために各テーブルに電源コンセントを設置して欲しいとかいう要望です。無線LANは既に完備していますから、だれでもコンピュータを持っていけばインターネットは自由に使えるけれど、小学生や中学生はまだ自分のコンピュータを持って登下校してはいないから、図書館にもっとたくさんコンピュータを設置して欲しいとのこと。現在でも結構な数のコンピュータが設置されているけれど、それでは足りないほど、彼らのコンピュータ利用ニーズはあるのです。宿題のために、です。
発言の持ち時間は一人3分。マイクの横(発言者の正面)にある小さい信号が、青から黄色に変わったら持ち時間終了1分前。赤になったらおしまい。でもほぼすべての若者は、黄色になる前に発言を終えました。ひとり、ある高校の生徒会長をしている青年は、さすがにしっかりした内容。彼の陳述は用意された原稿を読み上げるものでしたが、残念ながらすべてを終える前に赤になってしまいました。市長さんはすかさず「私はあなたの意見に大変興味がありますから、どうか最後まで続けてください」と言い、彼は「Thank you.」と続けました。市長さんはこのように、一人一人の発言に対して誠意を持って接し、若者たちを褒め、感謝の意を表します。スバラシイ!!
その高校生を含めて複数の人が指摘していたのは、現在の図書館の中には利用者が話し合いながら資料を読むスペースが少ない、という点。もっともです。伝統的に図書館は、「静かに本を読む場所」。でも教育的視点からは、もっと違うニーズがある。当然のことながら、若年者の発言が終わった後に意見を表明した大人からは、反対に「図書館の中がうるさい」という意見が出されていました。両者のニーズを満たすことはできるのでしょうか。
今年9月から、成蹊大学に最新の図書館がオープンしました。米国滞在中のshioは残念ながらまだ実物を見ていないのだけど、この図書館の計画段階では委員会に関わりました。そこでshioが提案したのが、まさにこの点。
shioゼミの学生たちは7人ほどの班ごとにザブゼミを図書館で行っているけれど、従来の図書館には資料を見ながら話し合いをするスペースが非常に限られていました。数少ないグループ閲覧室をゲットするしかありません。また、shioが学生と一緒に図書館に行って、書架から本を取り、その内容について学生たちと話をしようとしても、話せる場所がないのです。これでは何のために大学に図書館があるのかわからない。もちろん、一人で黙々と資料と対峙する場所としても図書館は重要だけれど、複数の人で議論をすることができることこそ大学の大切な機能であり、それを行う場としての大学図書館の存在は重要です。
shioがこれを委員会で縷々述べたとき、正直言ってそれがはたして実現できるかどうかはわかりませんでした。「沈思黙考」と「侃々諤々の議論」。この背反する要請を、はたしてひとつの図書館で両立できるのか、わかりませんでした。でも、新図書館の設計を担当してくださった建築家の坂さんがはじめて委員会に設計図を持っていらしてそのコンセプトを説明してくださったとき、shioは心から感動しました。これこそ「建築家の仕事」だと。
そこには、shioの(そしてもちろん委員会の)意向である「議論できる図書館」が、エレガントに実現されていました。ゾーンニングをすることによって、話し合うところ→書架→静粛エリア、と奥に行くにしたがって静寂度が上がるように設計されていたのです。スバラシイ!!
shioは帰国して、この図書館で学生たちと語りあうのを、とっても楽しみにしております。
成蹊大学「情報図書館」のサイト
→http://www.seikei.ac.jp/gakuen/100th/jigyo/info_lib-2.html
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Comments
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小学生の発言の記載を読んで、感心しました。色々教育問題が議論されていますが、人前で発言できる能力の育成も大切ですね。
Posted by: kazu | 2006.12.08 18:30
アメリカの学校には教壇がないという話で、異文化交流セミナーの講師に聞いた話を思い出しました。アメリカの小学校では「自分の意見をどんどん言いましょう」と指導されるのに対して、日本の小学校では「先生の話は黙って静かに聞きましょう」と言われる。子どものときに刷り込まれたこの体験が、大人になっても議論しない人間を育てる。この差を埋めるのはそう簡単ではない。確かにその通りです。
でも映画やテレビを見ると、アメリカの学校にも以前は教壇があって、日本と同じスタイルで授業をしていたようです。「大草原の小さな家」にそういうシーンがありました。どんな議論があって、いつごろからいまのようなスタイルに変わっていったのか、興味あるところです。
Posted by: raven | 2006.12.09 13:16
kazuさま
コメントどうもありがとうございました。お礼のメールをお送りしたのですが、宛先エラーで戻ってきてしまいましたので、こちらにペーストしておきます。
おっしゃるとおり、人前で発言する能力の育成、とても大切だと思います。またその基礎となる自己表現能力の寛容も重要。日本での教育問題に関する議論が、真に子どもの成長と社会の発展にために、身のある結論へと向かうことを願っております。
塩澤一洋
Posted by: shio | 2006.12.12 06:03