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2005.02.24

319:050223「子は親の鏡」か?

皇太子殿下がご紹介された詩。
Dorothy Law Nolteさんのもの。
非常に素晴らしい詩です。

殿下がお読みになったのは短いバージョンだったようですが、元は19節からなる詩。
原文を読んでみたところ、翻訳との相違にいろいろと気づくことがありました。

たとえば、原文には「しかし」はない。
翻訳した方はなぜ、原文にない接続詞を挿入したのでしょうか。確かに「しかし」の前後で内容が否定的なものから肯定的なものに変わっています。でも、原作者は、それをあえて截然と線引きをせずに表現をなさったのではないかと思います。
もしかしたら、原文の異なるバージョン(「but」や「however」のある)が存在するのかもしれません。

また、長い方のバージョンの日本語訳をウェブで探して読んでみると、そこには「〜してあげれば、……」という表現が繰り返されています。しかし、原文の表現はすべて「If children live with 〜, ……」の繰り返しです。「〜してあげる」という甘やかした含意はありません。

以前、マラソンでメダルを取ったランナーが、直後のインタビューで、
「自分をほめてあげたい」
と言った、と様々なところで報道され、引用されていました。しかし中継を見ていたshioは、彼女はそんなことは言わなかったと思います。
「初めて自分をほめたいと思います」
とおっしゃったと思います。
メダルを取るほどの彼女に、「〜してあげる」などという甘やかしは、ありません。
やはり、原文(この場合は、原発言)にあたるべきです。

詩の話に戻って、さらにタイトル。
原文のタイトルは、「Children Learn what they live」です。翻訳は「子は親の鏡」となっています。趣旨は同じでしょうか。原文には「親」なんてどこにも出てこない。そもそもこの詩は親のみに向けられたものではないと思います。子どもは社会が育てるものですから、社会全体に向けられた詩だと思います。「子は親の鏡」ということばには、子どもがどんな風に育ったかは親の責任だ、というニュアンスがありますが、この詩はそんな狭隘なことをいわんとしているのではないと思います。

以前、中学で教員をしている友人と話をしていたら、彼の生徒の問題行動に話が及んだ際、彼は、
「こんなことは家庭で教えることでしょう?」
と同意を求めてきました。
shioは、「えっ!?」。

年少者にものごとを教えるのは、社会の責任です。これは親が教えること、これは学校が教えること、などという区分があるはずがありません。何かを知らない人が目の前にいたら、教えるのが教師です(もちろん教え方にはいろいろあります)。それが家庭で教えるべきことか学校で教えるべきことかなどという区分はナンセンス。もしかしたら教育指導要領にあることだけ教えていればいいと考える教師がいるのかもしれないけれど、そんなはずはない。そもそも子どもを育てるのは社会の責任。すべての大人の責任です。教師はその使命を一般の大人よりもはるかに強く負っているはずです。

さて、詩のはなし。
やはりこういうものは原文を読むのが一番。
ゼミの学生はぜひ原文を読んでください。ネットで探せばたくさんたくさん見つかりますので、あえてここでリンクは張らないことにします。(どうしても見つけられなければ、研究室にいらっしゃい。)

翻訳文は、翻訳者の理解の範囲で表現されています。しかし、原文は異なるものを表現しているかもしれません。いや、原作者と翻訳者が異なる人間である以上、その表現内容も異なると考える方が自然です。ですから、翻訳文を読んで魅力を感じたら、さらに原文を読む方が得です。翻訳文の価値は、原文の魅力を伝えるところにあります。原文を外国語で読むのには時間が余計にかかるかもしれないけれど、翻訳文を読んで「原文を読む価値」を感じた文章であれば、時間をかけることによって得られる価値も大きいと思います。

大切なのは、原文、一次情報、オリジナル。
二次情報、三次情報を疑えるリテラシーを身につけましょう。

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Comments

テレビ報道で朗読されていた詩を聞きました。
素晴らしい詩ですね。

素晴らしいと感じたからこそ、全文を探してもう一度内容を検証したいとは思っていたのですが、さすがに原文から検証しようとは思わなかったですね。
英語に対して苦手意識があるのが大きな要因ですが、翻訳者の意図 (もしかしたら無意識かもしれません) で原文にない表現が用いられていたり、表現が削られていたりすると間違った推敲をしてしまいがちです。
(私は文章から微妙なニュアンスを感じ取りたいと思っているので、なおさら違った印象を受けがちです。)

翻訳文には翻訳文の意図があります。
それを越えて推敲したいなら、翻訳の手間を省かずに一から自分で調べる。
と云う努力を怠っていたような気がします。

また教えられました。ありがとうございます。
辞書片手に検証してみたいと思います。

shio さん、はじめまして。

「年少者にものごとを教えるのは、社会の責任」、本当にそうだと思います。
学校で学ぶことにくらべれば、社会に出てから学ぶことのいかに多いことか。
(もちろん、学生時代に学校で学ぶということは、かけがえの無いものですが)
教師であろうとなかろうと、学んだことを年少者に伝えていくのが、私たち
年長者の役目なのだと思います。

原文の話、勉強になりました。
英語は苦手ですが(苦笑)、チャレンジしてみようと思います。

懐かしい有森さんのインタビューでの言葉が出てきました。
アトランタオリンピックで銅メダルをとったときですね。
彼女の自著『わたし革命』(岩波書店)を読み返してみましたが、P213の有森語録に「はじめて自分で自分をほめたいと思います」とありました。ごれがオリジナルかは確かではありませんが(本当はインタビューのビデオがあると確かなのですが=原発言)、彼女自身が書いていますので…。
この言葉は、彼女が高校2年生の時の駅伝大会の開会式に出席した歌手・高石ともやさんの歌の一節だったそうです。
「頑張ってきた自分をわかっているのは自分自身だ。人がほめてくれるのを待つより、自分で自分をほめるのが自然だ」
有森さんは、続けて以下のように書いています。
「長いあいだ、そのことばは忘れていたけど、心のどこかで生き続けていたに違いない。川の底でずっと転がりながら、私と一緒に流れてきて、出番を待っていたに違いない…」(P144)
初めて納得のできるレースを終えたあと、心の奥に留まっていた言葉が無意識によみがえってきたのですね。

教育でなくとも、知らない人がいて困っていたら教えてあげる。教わった方は感謝する。一つのコミュニケーションとしても大切ですよね。

また、訊かれたら教えるのか、あるいは訊かれなくても気がついた点を教えるのか・・・「教える」+「育てる」の積極的姿勢をもっていれば自然とできることだと思いますが・・・なかなか難しいですね。

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