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2005.01.01

266:041231 写条と音読と筆写と黙読と……

264:941229 雪の日の“写条”に、johnnyさんと池内さんからコメントをいただきました。どうもありがとうございました。

普段、shioの頭の中をめぐっているのは民法と著作権法なのですが、それらの条文の解釈をつきつめていると、はっ、と憲法の条文に思い至ることがしばしばあります。そういう意味で憲法は深いと思います。どの法律から見てもその法律が実現しようとしている価値のエッセンスが憲法に書かれている。憲法はすべての法律の基盤になっていると同時に、まさに日本の法律の頂点に立っていることを実感するのです。さらにそこに描かれている価値は、普遍性が高い。

法律を追求するほど、憲法の気高さを感じます。

さて写条について。
池内さんは小学校で「音読筆写」をお薦めとのことです。非常に有意義だと思います。shioも小学校から現在に至るまで、頻繁に音読筆写をしています。小学校の国語の時間に音読筆写を習ったのがその後の人生で接する大切な文章をあたりまえに音読筆写するきっかけになったのだと思います。

外国語を身につけるときも、音読筆写が極めて有効です。shioが中学3年間の英語の教科書を、頭の中でページをめくることができるほどに記憶していたのは、音読筆写のおかげだと思います。中学だけでなく、高校の時も、英語のテキストブックはすべて例外なく音読筆写いたしました。

高2、高3の頃、周囲の友人たちが教科書や受験用のテキストブックのページを拡大コピーしてノートに切り貼りし、それに訳語や文法事項などを書き込んでいるのを横目で見ながら、shioは一回もそれをせず、すべてノートに原文を書き写していました。万年筆できれいに、いや美しく書き写すのが楽しかったのです。ちなみに中学1年からの6年間、ノートをとるのは中学の入学祝いにいただいたパイロットの万年筆を愛用していました。

ですので、一昨日のblogで“写条”という、あたかも特別なことばを用いましたが、shioにとって「書き写すことによって文章の心を読み取る」のは、至極自然なことなのです。

では「筆写」のみならず「音読」するのはなぜか。
ことばは元来、音であって文字ではないからです。
ことばを身につける際には、必ず音から入るべきだと考えています。だから、文字で書かれたテキストも、自分で音にすることによって、音として受容する。音こそことばの本源です。音なくしてことばはありえない。だから、単なる「筆写」ではなく、「音読筆写」なのです。言い換えると「筆写」は本質ではなく、「音読」こそ本質的なのです。

したがって、音読は必須である。必須であるというより、文字は音にして初めてことばとして生きる。自分で音にすることによって頭に音を響かせ、その音を自分で聞く。そこに意味があるのだと思います。音読は当然です。

一方、「音読」の本質的意義に対して「黙読」の重要性も顧みられるべきです。「音読」とは全く異なる「技術」として「黙読」を教えることが重要だと思うのです。

「黙読」とは何か。
黙読は、音読よりもはるかに速いスピードで文意を捉えることが目的です。
単に声を出さずに読むことではありません。小学校から音読を身につけてゆくと声を出して読む癖が付くため、たとえ「黙読」をしても、無意識に頭の中で声を出して読んでしまいます。この場合、黙読をしているにもかかわらずそのスピードは音読とほとんど変わりません。本当に黙読をするためには、頭の中での音読をしないことが大切だと思います。それを実現するために、世に言う「速読法」があるのですが、その内容はたいがい、呼吸法と眼球運動の鍛錬。しかしそこまでの「速読」をしなくても、本当の「黙読」をするだけで、読むスピードははるかに速くなるはずです。

1年間。
みなさまのおかげでとても充実した時間を過ごすことができました。shiologyも266回を数えることができました。どうもありがとうございました。心より感謝申し上げます。

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Comments

池内です。音読、筆写、そして黙読と簡単にまとめていただきありがとうございます。

小学校教育では、この音読に関してはかなり実践されていますが、筆写、黙読に関しては音読に比べ、さほど重要視はされていないような気がします。

筆写では、小学校では、字をきれいに書くという方に重点が置かれている気がします。

また、黙読に関しての指導は「教科書を読みなさい」の程度にとどまっています。つまりは指導されていないということです。

一度、このあたりを真剣に考えて系統立てた指導を考えた方がいいなと思っています。

さて、話は変わりますが、僕の所属している民間教育団体「授業づくりネットワークhttp://www.jugyo.jp/」の春の大会が3月28日(月)に成蹊大学で行われます。
春の大会では、全体テーマを「若い教師のための授業成立術入門」となっています。
その中で、「楽しくできる音読指導入門」というワークショップ講師を引き受けることになりました。
お暇でしたらご参加くださいませんか。

では。

「書く」ということにおいて、頭の中の感情や情緒を文章で表現するのは難しい。そういった「感想」を書くのじゃなくて、自分が観察したことをそのまま文章で表す練習が大切とおっしゃってましたよ。

正岡子規が、自然をそのままに写し取る、「写生文」をはじめ、それを漱石が引き継いで日本の近代の文章というものが形づくられていった。

「僕達の使っていることばは、写生文が元になっていまの私たちの言葉が生まれたわけですね。」

ですって。なんか近いものがあったのでここにメモしておきます。

井上ひさし著/「本の運命」p140/文芸春秋社発行

私のお気に入りのサイトの一つである、金川欣二さんの「言語学のお散歩」と言うサイトの中で見つけたものを引用します。

「ポリグロットの方の語学の天才というとトロイを発見?したハインリッヒ・シュリーマンがすぐに思い浮かぶ。18カ国語ができたおかげもあって、商売は大成功だった。語学の修得は次の7つだと書いている。

1.ひじょうにたくさんの分量を音読する。
2.短文を訳してみる。
3.毎日授業を欠かさない。
4.興味を覚えた問題について、つねに作文を書くこと。
5.これをネイティブの先生の指導によって訂正すること。
6.訂正したものを暗記すること。
7.前日に直されたものを次の時間に暗唱してみせること。」

天才と言われる人でも、やはり努力しているのですね。英語ができない、と言う人の話を聞いていると、楽して身につけようとしているというか、トレーニングが足りない人がほとんどです。語学もスポーツも音楽も芸能も毎日やっている人には勝てません。

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